湧水

小三になる時、6年間暮らしてきた東京から、自分の生まれ故郷の鉱山町の小学校に転校して来ました。
帰郷なのですが、生まれて2年弱しかいなかったこの町の記憶などある筈もなく、ましてや同期に知ってる顔もいない、全くのよそ者としての転校生でした。

やんちゃな連中からは言葉がわからないからとからかわれ、ちょっと成績の良い奴からは東京から来たくせにこんな問題もわからないとみんなの前で馬鹿にされ、学校にとけ込めなくて登校するのが嫌でなかなか学校まで辿り着けず途中で何度も足が止まってしまいしょっちゅう遅刻してしまう自分を、なんで皆が出来るのにニャンコは出来ないんだ!と叱りつけるだけの女性担任にますます登校拒否児になりかけたニャンコでした。

そういう学校での出来事や先生の事を親には話せませんでした。母に言えば心配したり悲しむかなぁなんて子供心に考えちゃったのでしょうか。

田んぼに水が張られ、苗も植えられた5月も終りの頃だったかな。
小学校の南側はそれほど広くない未舗装の町道があり、さらにその南側は田んぼが広がっていました。
鉱山町なので当時町を流れる川は鉱毒で赤緑色で臭気のある水が流れていました。
小学校の校歌の歌詞とはかけ離れた現実に、世の中のきれいごとを胡散臭く感じはじめたのもこの町に来てからでした(笑)

ところが、クラスの誰かに休み時間に遊びに行った田んぼのひと隅に、綺麗な水が湧いていたんです。
透明な水が底の砂の間からこんこんと湧いていて、その流れには薄緑に輝く水草が揺れていました。
その藻の中に小さなヨコエビがいて、この小さな生態系にとっても心が惹かれた自分はここがお気に入りになってしまいました。飽きもせずこの涌水を眺めていると気持ちが和むんです。

ある日、休み時間に一人でここを訪れたニャンコは教室に戻りたくなくて授業が始まる時間が過ぎてもずっとこの場所に居続けました。
何があったのかは覚えていません。何時どうやって教室に戻ったのかも覚えていません。
女性担任は烈火のごとく怒った(叱ったのではありません。怒ったのです)し、母が呼ばれ担任の言う事もきかないしどんな躾をしてるんだと言われたと大人になってから聞きました。

やがて言葉もとけこめるようになり、さらに小五で担任が代わってからのびのびと鉱山町の生活が出来るようになりました。


さて、先日久し振りにkenchanさんと花屋のママさんの三人で呑んでいる時でした。
小学校の前が田んぼだった頃、あそこに湧水があったよね。
という話が出て、
ああそれは懐かしいと盛り上がりました。
花屋のママさんの実家の近くだし。当時は家や樹海ラインなんか無くて、田んぼでしたけど♪

で、今も湧水が出てるとのkenchanさん情報にとてもビックリしたニャンコです。
そして朝の散歩で今の様子を撮影して送ってくれました。

以下、kenchanさんからの画像です。


道が通って回りに家や建物が建ってますね。湧水場も整備されてます。
ニャンコ少年の頃は田んぼのあぜ道の脇でした(笑)

今も綺麗な水が湧いているようです。ぜひ今度訪ねてみようと思います。

kenchanさん、ありがとう♪


さて、現在の場所や周りの状況はグーグルアースで確認すると

のようです。
見えますか?(笑)

ついでに今の様子を鳥瞰図で見ると

こんな風に見られます。

googl凄いですね。

では長くなりましたのでこの辺で…と言いながら(笑)

追伸

昭和40年の冬。まさにニャンコが湧水に通った時代です。

樹海ラインもなければ中央通りも無い。
小学校の周りはたんぼでした。
それでも町の人口は現在の3倍を上回っていましたから