ロータリーエンジンとの出会い

時は少々戻ります。

MAZDAがコスモスポーツというロータリーエンジン(RE)を積んだスポーツカーの開発に成功した事は秋田の田舎暮らしの少年も科学雑誌等で知ることが出来ました。
https://www.youtube.com/watch?v=DjqxE49KHc4

中央高速でのパトロールカーに寄贈された写真がグラビアに載っていましたが、まだまだ自分にはその理論も何が凄いのか全くわかりませんでした。
実際REの開発とRE搭載車に興味を持ったのは中学3年の時、ファミリアロータリークーペが発売された時です。
新聞の広告にもドカンと1ページ。
当時のMAZDAがREにかける気合を感じました。
https://www.youtube.com/watch?v=FbCRiFdTUs4
http://www.wald-licht.com/~oldcar/68_m_familia_r_01.html

(ところがこの車は思わぬ事件で日本中に名が知れ渡ってしまいました。
覚えていらっしゃる方も多いでしょうが、あの「大久保清」事件の白いクーペです。)

はともかくとして、通産省における戦後の自動車産業の統合案に立ち向かう事と、MAZDAが日本の自動車産業の片翼を担うメーカーを目指すためにもと、RE開発にかける執念ともいえる努力がやっと芽が出始めたんだなと、この辺りからニャンコはMAZDAという会社に興味を持つようになりました。
その最先端の旗印としての技術開発がREだったんでしょう。
蛇足ですが、先の自動車産業の統合に立ち向かったのはHONDAもでした。
あの宗一郎氏が立ち向かわない訳がないですよね。

中学生ではREがなぜ回るか? なぜ上手く回らなかったのか?は理解しきれませんでしたが、これを実用レベルに作り上げたスタッフの伝説に惹かれ、REって凄いんだと刷り込まれていったようです。
ニャンコ少年がMAZDAのRE車を購入する事になるのはまだ先の話です。