前回の秋田帰省は地震があったための予定外でした。
本来は次の週末、おと休パスで青森を探訪する計画だったんです。
第一の目的は八甲田雪中行軍の地を訪ねる事。
秋田育ちのニャンコは、秋田県側から十和田湖や八甲田に足を延ばす事はあっても、青森側から十和田湖を訪ねた事はありませんでした。
映画で見たあの道行きはいったいどんな所だったのか…
青森市外から八甲田 田代平に向う道はだらだらと登りが続きます。途中に亡くなった方々が眠る墓苑と施設がありました。
遭難事故になってしまったその道行きを当時の日本の状況などを交えて展示解説がされています。
それば是非ご自身で見聞きしてみて下さい。
建物の外、奥に墓碑が並んでいます。
広い芝生の正面、左右に葬られている御霊に、宗教とか政治的思想等は全く関係なく、ただ静かに頭を垂れ手を合わせて来ました。
梅雨の最中、なぜか青空が覗く好天を、どれほど夢見て亡くなられたかと思うと胸が痛いニャンコでした。
ここからさらに道は登って行きます。
途中、カーブの先に見つけた案内板
あの雪の中、雪原で立ったまま仮死状態で発見された伍長ですね。
両手の指全てと両膝下を失った彼が奇跡的に助かったため、行軍訓練の様子が少しずつ判明したのでしょう。
また、彼のおかげで雪室にいたうちの数人も生存発見する事が出来たようです。
ここからさらに八甲田山に向って登ると慰霊のための公園と、後藤伍長の銅像があります。
八甲田を背に坂道をしばらく登って行くと
八甲田を背にし、遠く青森市を見つめて立つ像が。
その台座には遭難した兵士の名前と出身県が刻まれていました。
だれかに責任を押し付けて非難や断罪することは簡単だけど、今の我々がそれを出来る立場にあるとは思えない。
せめて、繰り返すまじと念ずるばかりのニャンコでした。
ここから先、彼らの目指した田代平の道は深い霧(雲かな)の中でした。
とても穏やかな湿原のはずでしたが何も見えませんでした。
合掌…