自分のではないのにお世話になったバイク (1)

自分が所持したバイクは両手に一本足りませんが、同級生やらツーリングクラブの先輩に借りて乗り回させてもらったバイクもいろいろでした。

早生まれのニャンコは自動二輪免許取得がクラスメートの中でも後半ってか翌年になってしまうので、早く免許をとってバイクに乗ってる同期がとても羨ましかったんです( ;∀;)

当時の家は高校に近くて、先に免許を取った同級生がバイク通学(勿論認められてはいませんが)でバイクを預かってくれと来るようになりました。

最初は125ccの実用車で来てましたが、あれ?彼もう免許持ってたっけ?

‥はともかく、なんか125ccでもとても力強く見えました。

バイクの免許取得は漠然とした気持ちで、原付でも良いかなとも思っていたのですが、目の前に同級生の乗るバイクがあると‥

で、やっぱり自動二輪に挑戦することになりました。

基本を教えてくれたのはやはり彼で、人の居ない広場や公園で練習を。

で、まあ免許を取ったのですが、受け取ったのがもう春でした。

学年が変わってクラスは別れたのですが、相変わらずバイクで通ってた彼は、125ccを卒業して250ccのスポーツバイクになってました。

お金持ちのお坊ちゃんだと思うのですが、新車ではなくいつも変わったバイクに乗ってたなぁ(笑)

それがKAWASAKI A1SSでした。

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この写真は1型です。

2型はタンクのゴム(ニーグリップラバー)が無くなり、3型はメーター類がランプハウスから独立し、タンク形状もカラーもかなり垢抜けました。

で、彼が乗って来てたのは2型です。

運動部の彼は帰宅部のニャンコより帰りが遅く、気前の良い彼は鍵をポンと渡して、乗って来ても良いよというのがしょっちゅうでした。

免許持っててもまだ自分のバイクが無いので、友人のバイクを借りるしかなかったニャンコには、彼が神様に思えたのは言うまでもありません(笑)

半日借りて飯能まで走ってきたこともあったなぁ‥ちなみに杉並区からです。

多摩湖外周道路もよく行きました。かなり昔に二輪走行禁止になってますが、事故が多発しましたからね。

ニャンコ世代の新米ライダーの練習走行コースの定番だったのに‥

 

さてA1SSですが、意外にトルク型の2stツインで、フル加速だとCB250やDX250にちょっと負けるかも。ちなみに0発進は新宿の西口地下ロータリーにつながる(あ、今は都庁の出入り口とかある道です)地下通路がガラガラだったので、仲間と出かけてフル発進を繰り返して行ったり来たり。

2stで煙は出るは五月蠅いわで、地下通路では顰蹙だったろうなぁ('◇')ゞ

 

当時のKAWASSKI車の特徴がボトムニュートラル式の5速リターン変速機。

他社がみなボトム1stでかき上げ式だったので、慣れないとギヤダウン時にいきなりニュートラルになってエンジン空ぶかしになるはバイクはよろめくわで恥ずかしい思いをします。

ただ、よく言われていたブレーキの不満とかオイル漏れだとかは全然無くて、思ったよりも乗り易いバイクでした。

当時、スクランブラーバイクのアップマフラーは美しくないと思っていたので、自分は都会的なロードスポーツを選びましたが、今思うとスクランブラーっていいなぁと(笑)

OFF車とロードスポーツがはっきり分かれてしまい、ひところスクランブラータイプは死滅していましたが、パリダカなどもあってアドベンチャーというカテゴリーのバイクが増えてますね。

スクランブラーの進化版ですよね。

中途半端と言われ絶滅危惧種だったスクランブラーに覚醒の時が来たって事?

 

あ~、あの頃この選択肢を何故はずしてしまったんだろう(+o+)

他人のバイクでしたが、バイクで走る楽しさを一番最初に教えてくれました。

 

(ニャンコがバイクを手に入れた年にはもう生産が終わってて売れ残りしか無くて、しばらくして3気筒2stの250ccが発売されました。それは甲高い排気音とトルク感の無いエンジンだったと記憶します。)

今、思うにA1SSが一番欲しいバイクです。