日中雨が降らない日は、今日を逃せばしばらく巡って来そうもありません。
土日祝日は出かけないようにしてますがそうも言ってられません?(笑)
W子のエンジンかけて充電を兼ねて少し走って来なくては。
荒川左岸を遡って行くとこんな看板に初めて気が付きました。
ここにこんな飛行訓練校があったんだ‥
駐車場の傍にはこういう案内板が
読めるかどうかわかりませんが、説明文だけ切出してみます
陸軍少年飛行学校というところでしょうか。
ニャンコの叔父が同じような陸軍飛行学校に志願して、戦争がもう半年から1年延びたなら、やはり知覧などから特攻に送り出されたのでしょうね。
太平洋戦争終盤の飛行学校は、生徒を殴り、怒鳴り、懲罰をあたえ、飛行機も少ないので実際の搭乗訓練にたどり着けるまでは毎日しごき続ける。
そんな中で唯一の褒められる行いは特攻に選抜されて出陣する事だけ。
当時の実態は、生徒を極限状態に追い込んでまだ10代の少年を特攻兵に作り上げる狂気の学校になってたようです。
叔父は訓練途中で終戦になり、秋田の実家に帰って来ましたが、殴られたものか頭部に血腫等の疑いを持ちながら早逝しました。
毎日生徒を殴って特攻に送り出した上官は終戦後一切の口を噤んだまま、普通に亡くなるまで生きてたりして‥
きったない連中だなぁって思うのはニャンコだけでしょうか。
大戦後、戦争に巻き込まれずに今まで生きて来られたのは、世界中の国々でもごく僅かの人たちだけで、ニャンコはとても恵まれた国と時間に生きてるんですよね。
この門からの眺めに、立ち入る事をためらってしまい、結局中には入らなかったニャンコです。
って事で、充電も大丈夫だろうと引き返し、お昼は久しぶりに例の蓜島屋さんで、
冷したぬき蕎麦(大盛)をいただいて帰りました。
ガテン系の人たちが2組来店されていましたが、マスク外してけっこうな声で歓談をしてました。特に1組の方は当たり前のように。
う~ん、これでアルコールが入ったら、やっぱり歯止めは利かないだろうなぁと‥
みんなが同じように考え行動できるって、政府やお役人が思ってる事が信じられないニャンコです(*^_^*)
あの、偉い人ってもしかして○鹿?