昭和40年、おそらく8月にニャンコ少年一家は小坂町から母の実家がある長崎県まで最初で最後の家族旅行をしました。当時としては大奮発したデラックス(死語?)な内容でしたが、細かい事が記憶から消えかかって(笑)
当時の特急は今のように乱発されて無かったし、200㎞も走らず停車駅も快速や昔の急行位もあるなんて情けない列車ではありませんでした。
Limited Express の名が泣きますね(-_-メ)
限定された(特別な)急行なんですよ。
なかでも日本海沿線を1000㎞以上駆け抜けるディーゼル気動車特急の「白鳥」は日本海の女王様といった存在?(*^^)v
昭和36年に走り始めたキハ82を先頭車にした80系車両は、それまでの気動車よりはるかに秀麗にでした。
デビュー当時、小学生の学習雑誌にも載ってたのを覚えてますが、ちょっと思い返すと同時デビューしたつばさ(同じくキハ82系)が主体で、お父さんと秋田駅から特急つばさに乗って上野に向かう時に、隣のホームに同じ車体の特急が並んでたという設定でした。
はい、南行のこの2編成の特急は秋田駅を同時発車したんですね。
ニャンコ少年が白鳥に乗ったのは昭和40年夏で、秋には大きなダイヤ改正があったので、この同時発車の最後が近かったのかも。
ところが、朝早く家を出たので眠い上に、座席が海側だったので山側に当たるつばさのホームは気付かずに居眠りしていたかも。同時発車の記憶が無い(T_T)
乗車した車両は1等車(キロ80)だったのでやたら静かで、冷房の効いた車内はただただ睡魔に襲われて‥もったいない(笑)
Limided の通り全車全席指定席。当時特急とはそれが当たり前。
急行とは違うのだよ、急行とは!
ですね(笑)
直江津から上野からの編成が前方に連結され、14両の長大編成になります。
青森からの編成では最後尾がキハ82でその次がキロ80なので、カーブではず~っと先に先頭が見えるというオマケも。そして道中の食事は隣の車両がキシ80の食堂車。
食堂車には現在どの辺りを走行してるかを示すアナログなバーグラフがあったりして(*^^)v
そして特急の特急たる誇りとして、停車駅の少なさ。
1県に2駅までしか停車せず。しかも新潟は通らない(白新線などのローカル線は走らない?)という徹底したダイヤ構築。
もっとも、同じ昭和40年秋のダイヤ改正で新潟駅に停車して、そこから逆行して長岡に向かうというちょっと許しがたい(掟破り?)進路に変更されましたが。
なのでニャンコ少年は一番特急らしい最後の白鳥に乗ったのかも(^o^)/
その後、つばさなどは山越えの出力不足を補うため、高出力機関を搭載したキハ181系に変わりましたが、白鳥は電車特急に変わるまで82系を通したとの事です。
ちなみに先頭車両のエレガントさは明らかにキハ82の方が上だと思っています。
181は無骨というか隅々が野暮ったい(あくまでも個人的な意見です)
最高速は100km/hしか出ないけど、長距離を無難に走り切る事の方がだいじかな(笑)
とはいえ、あの長時間を二等車のシート(背もたれ固定、転換クロスシート)ではやっぱりきつかったろうなぁ。
父が無理して1等車にした理由はそこかな。
二等車のシートは簡易リクライニングになった181系の勝ちかも(笑)