現在、秋田市から鹿角に向かう時に多々利用されてるのがR285です
昭和43年時には国道ではなく、道路規格も大型車の通り抜けは不可能でした
比内に通じる小森川沿いの道は地方道というか、現在の感覚では林道レベルの村道です
上小阿仁から五城目に行くにはやはり林道クラスのつづらおりで秋田峠を越す難儀な道路でした
男鹿への道もこんな感じで 男鹿はまだ周遊道路がありません
門前から加茂間は、後に自衛隊によって開通したと言われた崖の上を爽快に走り抜ける道が出来るまでお預けです
追分の交差点からこれも昔からの道(それでも多分当時の新道だと思う)をトコトコ走り船川(現在 男鹿)の手前でやはりひと山越えなくてはなりませんでした
地図の通り 観光有料道路がはばをきかせています(笑)
小6の時の修学旅行は大館から東能代まで列車で
東能代からはバスで男鹿半島の寒風山展望台に上がり その後入道崎へ
で、ニャンコ少年の記憶では観光船に乗ったはずなんです
そして宿泊先は門前の旅館だったような‥
他の同期に訊いてもどこの宿に泊まったのか覚えていないのが不思議
戸賀という説もあるけどあそこに旅館があったとは思えません
いまだ解けていない少年時代の謎なんです(笑)
で おそらくその門前の宿からバスで秋田市へ
当時の秋田市付近のアップで見ます
雄物川はあくまでも土崎港の方向に流れ出てます
新屋浜に流れる水路は放水路
現在はこちらが雄物川河口と呼ばれていますが 新城川の北側も現在は埋め立てられたりマリーナなども出来て広大な港になってますね
この当時はな~んにも無い?
欄外の秋田市内の詳細図をアップで見ると
おや 秋田市役所はこんな所にあったんですね
警察署は変わりないようです
川反歓楽街が近くて良かったですね?(笑)
秋田温泉も当時からあったんですね
(現在でもやや高い旅館です ご接待用ですかね)
たしか修学旅行で立ち寄ったのは県庁とNHKかな
そして最後に木内デパートでお土産買ったり屋上で遊んだりしてから小坂町に帰ったんだっけ(^^ゞ
記憶が怪し~(>_<)
あ この図の南側 右から合流する川に「旭川」とありますが こちらは支流の太平川です
北から南に縦に流れてるのが旭川
やっぱしミ○オンでしょうか (@^^)/~~~