これはKさんのお父上がおわかりになる話かな(笑)
飛行機大好きでした。
駄菓子屋のハンドランチグライダーからはじまって、小学校高学年ではゴム動力機。中学1年の時県北で初めてのラジコン飛行機大会が開催されるというビラを見て、人に頼んで連れて行ってもらいました。
東京から有名フライヤー(当時RC機を飛ばす人をそういいました)も来ていて、そのデモフライトの華麗さに心を奪われたニャンコ少年でした。
村山氏、松井氏と言えば未だコンテストフライヤーで知らない人はいないでしょう。そりゃ上手に決まってました(笑)
田舎の中学生にまだまだ手の出るような趣味ではありませんでしたが、気持ちはRC飛行機です。
町の本屋さんにラジコン技術という本が置いてあり、それを読むことで夢を膨らませていました。
入門クラスのRC機を特集した増刊号です
その広告
大卒初任給が26000弱の頃です。
バックナンバーが載ってますが、ニャンコが読み始めたのが67年6月号からでした。
一年半後、東京に転校したニャンコですが、憧れのニットー教材が近くになったのに、のんびり飛ばす場所はどこにも無い環境に愕然としたものです。
チャリで行ける範囲では…(笑)
高校の時もたまに思い出してはラジコン技術を買ってみたりしてましたが、無線機等半導体技術の進歩はすさまじく、相対的な価格は明らかに下がっていました。
71年版と記事
広告はこんな感じで
Kさんのお父上に尋ねればわかると思いますが、入門用のメカニズムが、単純な順序式動作から、各舵独立の比例制御式に変わる境目くらいの年でした。
大卒初任給 43000円程の時代です。
やっとRC機を飛ばせたのはバイトで車を買って飛行機を運べるようになった大学生の頃でした。
初めて作った飛行機がなんとか空に舞い上がった時は言葉にならない感激で一杯だったのを覚えています。