小学校、中学校とおそらくいちばん長く同級生として一緒に学び一緒に遊んだ友人Mが東京の西部で暮らしています。
ニャンコが中二の終わりで転校して行く時、大館駅まで見送りに来てくれて、ニャンコが急行津軽の窓から手を振りながら別れた友です。
何度か手紙もくれたっけ。
写真が見付かりました
中二の転校前に、新しく出来た合宿所でクラスのみんなが送別会をしてくれた時です。
Mは得意の泥鰌掬いを披露してくれましたっけ。
その彼は、翌年中卒後鮨屋さんに就職を決めで上京して来ました。
彼の担任だったH先生に聞いたんだと思います。
父にいちどお店に連れて行ってもらい、一年ぶりにMとの再会を喜びました。
お店のご主人や先輩も少し時間を下さり、短いながらも話をする事もでき、休業日には遊びに来ると約束して別れました。
後日、何度かMは遊びに来てくれて、ニャンコが転校した後のクラスの様子等の話しを聞かせてもらうのが楽しみでしたが、同じ年でニャンコは高校1年生、方や鮨屋の見習い修行中という立場の違いにお互いが気付いてからは、別々の道を歩いて行くことになりました。
時が経って三十代も半ば過ぎ、三年七組のクラス会を品川で行うとのお誘いをもらい、そこでMと懐かしい再会を果たしました。
ずっと同じお店で仕事を頑張っていたようで、ニャンコも今度は自分の稼いだお金で堂々と食べに行けるし、同じ社会人として同等の立場での話しが出来る事がとても嬉しく思えました。
その後、たま〜にですがお店に食べに行き、板場に立ったMの握る鮨を楽しく味わう事が出来ていたのですが…
バブル崩壊の頃でしたか、突然彼の勤めていたお店がなくなりました。
理由等はここで述べませんが、彼の身の振り方を勝手に心配していましたが、なんとか自力で回転寿司の板場へ再就職を決めたとの報告に、Mの腕からしたらもったいないなと思いつつも一先ず安心したニャンコでした。
そのお店が府中にある時に2.3度同級生と尋ねたのですが、立川のお店に移ってからは一度も尋ねた事が無く、ぜひ機会をみて行きたいと考えていました。
今回彼の休み時間にお茶しながら話しましたが、ちっとも変わっていないMが嬉しかったニャンコです。
Mは、他人を羨まない、他人に頼まれると出来るだけの事をする、自分が信じて行ったことで何があっても相手を恨まない、そして辛抱強い努力家です。
その後勿論彼のお店に行き、そんなMの握ってくれたどこかホッとする鮨をたっぷり食べて帰って来ました。
ニャンコにとってどんな高級鮨店で食べた鮨にも使われてない「情」という隠し味で、最高の握り鮨になっていた事は言うまでもありません。
ニャンコ自身はほんとに何の才能も無く努力も頑張りも足りないいいかげんな奴ですが、たった一つ自慢できるのが、ニャンコには男女にかかわらずとっても素敵な友人達がいるんだという事です。
そんないい奴ら(失礼!)に毎日を生きる元気をもらい、日々感謝しているニャンコです m(_ _)m