1968年の広告から

ニットー教材の広告が載っていた月刊誌です。

現在でこそごく普通に手に入るエンジン式のRCカーが表紙です。
かなりアバウトなキットだったと思いますが、おそらく国内で初めてキット化された製品だったのではないでしょうか。
車の隣りにある送信機は、当時最も単純な信号を使い、機械的に操舵とエンジンのスロットルコントロールに振り分けて動作をコントロールする「シングル式」というシステムです。
これが送信機だけで当時5000円から12000位しました。
受信機が2500円から4000円、コントロール用のサーボが1500円から2400円くらいで2個使います。
つまりこの単純なシステムで10500円から20000円強のお金がかかったんです。

今、ホビーショップに行けば、5000円から10000円も出せば、これよりずっと進んだシステムを組み込まれたRCおもちゃがたくさん並んでますね。

同じ雑誌の別の広告です

今はもうやめてしまった模型用エンジンの会社ですが…
社員募集の給料が書かれています。(この頃はまだ集団就職があった時代です)
中卒で18500円、高卒21500円と載っています。

つまり、当時のRCシステムのもっとも安い物でもひと月分の給料をはたかないと手に入らなかったんですね。
当時の価格を8倍位すれば現在の金銭感覚になりますね。

100円の戦車のプラモデルには100円(90円だったかな)のマブチモーターと25円の単三電池が2本必要です。240〜250円かかる訳ですが、今で換算すると2000円位ですね。
奮発してTAMIYAのリモコン戦車なんか買っちゃうと900円〜1000円くらいかかりましたから…。
当時中一だったニャンコの小遣ではそうそう買える物ではありませんでした。
スロットレーシングカーが流行った時、ニチモのホームサーキットセットが1/24フォーミュラかーが2台付いて9900円でした。今考えればめっちゃくちゃ高いセットです。
これがクリスマスにはそこそこ売れたらしいです。

この1968年はニャンコがRC(ヒコーキ)に興味を持ち始めた年でした。でもまだまだ手が届くには遠すぎて、夢ばかりが膨らむ田舎町の中学生でした。



追記
上田製作所さんの社員募集欄で、面接には交通費・旅費を支給と明記してあります。
ニャンコが若い頃は、面接に呼ばれるとちゃんと交通費が渡されました。
現在、面接やら何やらで会社に呼ばれて訪問しても全部自己負担というケースが殆どですね。たとえ求職中の身であっても、採用側が呼びつけるのならば「会ってやるんだから仕事が欲しければ来い」といった態度でいる会社って正直好きになれません。
求人してるという事は、会社がふさわしい人物を探しているのですから、そのために何人も来させた人間に対し、法律的にはどうあれ交通費の支給は企業として当たり前の配慮でしょう。
そんな事もわからない(考えない)会社は、業績はともかく社員として気持ちよく働ける職場環境では無いだろうな…と思ってしまうニャンコでした。