徒然に‥

ニャンGの釣もシーズンオフ

バイクは2台とも仕舞ったし

後はゆっくり帰宅前の片付け

そしてその合間にはぽっかり空いた時間が出来て、とりとめのない事などぼんやりと思う時‥

秋田に居ると小中学生だった小坂での6年間の出来事や想いが浮かんできます

先日ふっと浮かんできたのが道路地図(以前もちょっと書きましたが)

このところ小型バイクで旧い道や街道を走ったりしてるからでしょうかね(^^;)

中1の春 軽スポーツ車(勿論チャリです)を買ってもらってあちこち自分の意思で走れるようになって 急に道路地図と言うものに興味が出て来ました

勿論もともと地理好きだったのもありますが(笑)

当時の街の商店街にあった福田書店(こちらの家系には画家さんと俳優さんが居らっしゃいました)で見つけたのが「ミ○オン道路地図 東北編」でした。

こういうの小遣いで買っちゃうんですよね(^^ゞ

因みに当時の物価は物によりますが現在の7~10分の1位ですかね

後にかなりアバウトな地図だと巷で噂(あくまでもウワサです)された出版社の物でした(笑)

昭和43年4月版の最新です♬(その時は)

今から見れば突っ込み場所があちこちに(笑)

それはひとまず‥

表紙を開くと各ページごとの表示区分が

で、ここで気付くのが秋田県の現在北秋田市とっなている一部がどのページにも表示されていない事です

この区間って車が走れるまともな道が無かったんですね

ミ○オンさんではスッパリ切り捨てられてます(笑)

北東北で空白の地域があるのは秋田県だけでした(T_T)

ま、道路地図なので仕方ないですね

この時代、高速道路なんてありません

あるのは観光用の有料道路

秋田県にもたくさんありましたね

有料化で道路建設費を賄い、償還後に無料一般道化したんですね

でも先に書いた物価からするとけっこう高額かも(-_-;)

サラリーマンが自家用車を所有してる事自体贅沢といわれた時代でしたからね

さて、鹿角辺りを開いてみます

東北道が無い頃は鹿角から盛岡方面に出るには鹿角街道(斜めに走ってる緑の地方道)をトコトコガタガタ走るしかありませんでした

未舗装区間もたっぷりありましたから

車だとどんだけ時間がかかるか‥ そりゃ、急行も走る花輪線で出かけるのが当たり前なのかも?

で、現在の鹿角十和田付近の交差点アップが

う~ん ここってこんな十字路だったかなぁ(?_?)

道はカクカクとクランクしてたような‥

このアップの○の図は、もうちょっとだけ南側だったと思うのですが(^^;)

完全な間違いではないけれど おそらく地図を信じて初めて通るドライバーは迷うかも

別のページで同じ場所が出てますが

だよね! 

感覚的にこんな感じでした(*^^)v

南に大湯十和田湖方面へのショートカットの十字路があったのでそれを伝えたかったんでしょうね

花輪・大館から来て小坂に行こうと思ったらきっと迷いますよ(笑)

ってか同じ地図帳のページごとに担当が違うんでしょうかね(^^;)

この辺のユルさが噂のミ○オンさんなのでしょうか(笑)

樹海ラインなんて影も形もありませんし当時想像すら出来ませんでした 

まして東北高速道が通るなんて('◇')ゞ

まだまだ小坂町は黒鉱の鉱山のおかげで繁栄中

自転車で行動範囲が広がって 将来は原チャリや自動車に乗ってあちこち走り回る夢を持っていました

それにしてもアバウトな(縮尺のせいもありますが)ドライブ地図では自転車でのお出かけは無理

当然まあた福田書店に行って1/50000日本地理院地図を買って来たニャンコ少年でした(*^^)v

でも丁度小坂町の所が角になっていて 嫌でも地図を4枚買わなくてはならないのが悔しかった?(笑)

それにしても、集落を避けるバイパス化が進んでいるのは一桁国道だけでしたね

今は3桁国道になってる道も昔は主要地方道

集落の真ん中を通ってました

CD90やセロー 埼玉ではDio110でそういう道を辿るのが最近の楽しみになっています(*^^)v

なので昔買ったあちこちの1/50000地図や、古いロードマップはニャンコGの宝物‥いや、宝の地図かも(@^^)/~~~