社宅は広かったなぁ

部屋数は…と
5DKプラス次の間プラス畳3畳押入れ付の小部屋で、脱衣所兼洗面所に風呂と何故かトイレ二箇所の平屋建てでした。ぐるっと廻り廊下で囲まれていたのでかなり広く感じました。

東側は山になっているのですが、一部切り開いて小高い部分が平に整地されていました。入居した時は草原になっていて東京から連れて来た飼い犬が大喜びしていましたっけ。

南側が玄関で道を挟んで防火用水池があり、西側の庭には池がありました。

池側の塀の向こうには、道を挟んでちょっとした広場が。この地区の子供の遊び場でもあり、ラジオ体操の集合場でもありました。
一度だけ、映画会をやった事がありましたが、あまり気持ちの良くない病気の解説映画でいったい誰が何のために上映したのか謎です(笑)

北側の庭が広くなっていて、高台のようになっていたので町や鉱山の煙突などが見晴らせます。

妹が友達とテント遊びをしたり、転校前には父が薔薇を植えてみたり。

冬には北東の山側から庭に滑り降りてみたりとか


たった6年間でしたがとってもお世話になりました。

何十年もの風雪に耐えてきて、すきま風もあちこち。でもどこか温もりがあった明治初期の木造社宅。
いまでもとても懐かしく思い出します。