社宅にからんで思い出す事

nyantame2010-09-26

小坂での社宅に関してはニャンコとしては微妙にひっかかるところがあって、あまり小坂の人や友人との話題に上げて来ませんでした。ごく親しい人以外には。

東京でも戸建ての社宅生活をしていましたので、今回は広い家で庭もやたら広いなとは思いましたが、特にそれ以外の意識はしなかったんです。
でも、小学校も慣れてきていろんなクラスメイトの家に行く様になって生活様式がこんなに違う子供達が同じ教室に集っているんだと驚きました。

ここの鉱山会社は一部上場の一流会社といえる企業でした。
そこの中堅社員として東京辺りではごく普通のサラリーマン生活(奥さんは専業主婦で、お姑さんも同居してて、でもそこそこやりくりに苦心してたりする…みたいな)だった様に思っていたからです。
今考えれば東京の小学校って狭い範囲の地区の子供が通ってますから、住宅地にある学校の生徒は生活環境がそれ程大きくは違わなかったんですね。
だから正直ニャンコもビックリでした。

小坂に転校してきたらいきなり「山〇のおぼっちゃん」と一部の連中にいじめられました。
何の事かわからずにニャンコは学校が嫌いになりかけました。それにしても生徒がいっぱいいる学校でした。担任の先生も気持ちのひ弱なおぼっちゃん転校生はあまり好きでは無かったようです。これだけいろんな生活環境の違う子供達を、ひとりひとり個性をつかんで…なんてまあ実際はやってられなかったのでしょうが。
先生の言った事を守れ。つまりは「右向け右!」の先生でした。ずれたりはみ出したりする子は容赦なく叱る。何故?とかどうしたらできるようになるかをその先生から話を掛けられた記憶がありません。子供ながらにストレスや教室に対しての不安も重なってか、休み時間に外へ出たきり教室にもどらなかったり、朝にはお腹や頭が痛くなったり(身体はなんとも無いのですが本人としては本当に痛いんですよね)。休みも多くなりました。
母は呼び出され「ニャンコはなんで私のいう事をきけないんだ。私の言う事を守るようにお母さんからしっかり言聞かせるように」と担任に苦情を言われ、ニャンコはいつも教室のみんなの前で叱られる…。ますます学校に行きたくない。
ニャンコ ピーンチ!!

ある朝、ちゃんと学校に行くつもりで家をでたのですが、ほんの5分程の道がなぜかちっとも前に進まず、御成橋の上からじっと小坂川の流れを見つめしばらくボーっとしてました。このまま落ちたらどうなるのかなぁなんて考えていたようです。それでもふと我に返ってやっと橋を渡り終えたら、今度は鉱山からの引込み線の踏み切り手前に犬をみつけてそれと遊び始めたり。で、踏切が鳴り出したんですよね。
そこは遮断機も無い踏切で、鉱山からディーゼル機関車に引かれた貨車がゆっくりと近付いて来るところでした。
この日はニャンコの心に何かが入り込んでいたのでしょうか。ふと
「もう学校にだいぶ遅れてるなぁ…。この犬もニャンコと遊びたくて甘えて来るし。でも行かないとまた母が先生に怒られるんだよなぁ。そうか、じゃぁこの踏み切りをあの機関車より先に渡れたら学校に行こう」
って。
見ると機関車は小坂川を渡り踏み切りに向って大きく曲がったところです。言ってみればすぐ手前まで来ていました。
その時のニャンコの精神は異常でした。犬にバイバイと言って踏み切りに駆け込んだんです。
本当に直前を駆け抜けました。運転士さんの引きつったような顔がスローモーションの様に記憶に残っています。
運よく?渡りきったニャンコに鬼のような形相で運転士さんが「バカヤロー!」と怒鳴って行きました。ブレーキとか警笛なんて余裕は無かったはずです。そうとう驚いたと思います。ごめんなさい。


「渡りきれたら学校へ」って、渡り切れなかったら…ま、いいや。本当にその瞬間そんな気持ちでした。
今までずっと親にも話した事がありませんでした。
当時は先生の事や学校の事など親に相談などは出来ませんでした。心配かけちゃうなぁと思ったり、母親の困った顔が見たくなかったのかな。

その日は先生に遅刻でまたしかられたニャンコでした。

そんなニャンコが脱皮(変身?)するのはまだしばらく先です(笑)