洗濯して外干ししてると穏やかな晴天。
10月最後の秋晴にさそわれてCDで出かけてしまいました(^^ゞ
と言ってもいつも通り目的が決まっていません。
あ、この前HIDEKIさんが安東氏がなんちゃらとコメントくれましたっけ。
ニャンコのイメージ的には、北海道南部から青森の日本海側をつたって、能代から男鹿、秋田にと南下してきた豪族さんかな?
能代を差配していた時の居城は以前訪ねた桧山城(本格的山城)。
ならばその次は‥
男鹿半島付け根の脇本城(山城)?
そして名前を秋田氏に変えての秋田城(微妙に山城)。
そして佐竹氏と入れ替えで茨城に行っちゃったのかな(^^ゞ
その秋田城跡は、近くにありながら一度も行った事が無い(笑)
こりゃいかん
ってことで見学に行って来ました(*^^)v
旧国道が切通で城山を横切っているんですね(^^;)
この歩道橋を渡って行きます。
たぶんこの下は山だった?
むか~しの国道なので、トンネルを掘るという選択肢は無かったようで(T_T)
さて、歩道橋を渡ると再現された塀と門が
で、おやおや…?
これはどうした事か? 人影が
なわけ無くて、当時の建物を再現した展示物でした。
人影が少ないとかなり長閑に見えますが、当時はどうだったんでしょうね。
この秋田城址はかなり平らに開かれていて、今は公園のようなのどかさも。
この城跡に隣接して護国神社が建っていました。
ちょっと寄ってみます。
立派な門の奥にこれもなかなか立派な社が見えました。
初めて訪れたのでしっかりお詣りです(*^^)
ここは北側に土崎湊を持ち、西側に山を下れば雄物川河口部が。秋田の平野部を見下ろす立地になります。
これを念頭に、今度は男鹿半島の南側付け根にあった安東氏の居城、脇本城址を訪ねてみました。
ここが駐車場で車止めかと思ったのですが‥
まぁ、案内板を確認して‥と
ん?
神社の先にも「P」マークが2か所(^o^)/
この坂、楽できそう♬
先ずは神社の鳥居前。
菅原神社という社ですが、ニャンコGはあまり聞いたことのない神社です。
そういえば男鹿には安東姓とともに菅原姓の方がたくさんいらっしゃいますね。
この社と同じ高さくらいの所で諸車通行止でした(笑)
無人の案内所があって、パンフレットなどが手に入りました。
ここから歩いて城跡まで上ります。秋田城よりきついかな。
ほんとに良い天気。風もほとんど感じません‥てか、歩いてたら汗かいた(笑)
この城跡は真っ平ではなく館ごとに整地されていたようです。
そういえば桧山城はさらにきつい山の上にあったっけ。安東氏って山が好き?
流石に見晴らしは良かったです。
当時はもっとよく見えていたのかな、寒風山。
そして海を隔てて県南部中央部の山々。右手は由利郡(安東氏がちょっかい出してたらしい)です。
南東の麓を望めばこの辺りは城下町が延びていたそうです。
西には男鹿本山。
当時はホントに鬼が住んでると思えるような所だったかも(^^;)
半島北側にある北浦からぐるっと海を廻って船川(現男鹿)までの海岸線は船でしか立ち寄れる集落は無かったかも。
八郎潟は残存湖ではなく、広い汽水湖で豊穣な水域だった(と思います)。
で、その八郎潟越しに見えてる山が
森吉山ですね(*^^)v
さすが秋田オリジナルのランドマークです。
安東氏は桧山城には能代港。脇本城には船川港。秋田城には土崎港と。お城と港をセットにしていたんですかね?
ここ、脇本城は景色良かったろうなぁ‥登城はきつそうだけど (*^_^*)
あ、だからこれだけ開墾していろんな屋敷が建ってたのか!
明日から11月
いきなり寒気が入って来そうで、10月の寒いなぁとは一段違う冷え込みのようです。
日中の晴れ間を縫ってCD90をチョイ乗り出来るかなぁ(;_;)/~~~