たぶん、昭和30年~40年前後。
小坂町に嫁に出した母の様子を案じて手助け(?)に来た母の母。
十和田湖に訪れた時に
ニャンコは生れていたかな…
なんと、色付いてたんですね。今では当たり前でしょうけど白黒フイルムが一般的だった時代です。
きっと父も遠路はるばる訪れた義母に対してのサービスだったのでしょう(笑)
瞬間湯沸かし器(死語?)など無い小坂の社宅での冬の家事はびっくり仰天だったかも。
そして約半世紀後
まだ車に乗って出掛けられた母を連れて十和田湖に
母の母に似て、背骨が曲がり始めてます。
顔はにてるかなぁと思っていましたが、母が亡くなる前はしっかりと面影を継いでいました。
母の娘はやっぱり母の面影を継ぐのだろうか…
いや~、妹には面影を残して欲しくないな。
だって、妹の顔見て母を思い出したくは無いから(爆)