あきた号 続編?(笑)

はずかしがりや?のKENCHANさんからメールが届きました。

お兄さんが中学生の時にいた物理部で、あきた号を作って飛ばしてたとの事です。

 

彼のお兄さんが物理部で、何かと工作してたのは聞いていました。たしかその事もあって、中学校の文化祭を見に行きました。

その展示のひとつにライトプレーンの作り方教室みたいな出し物(失礼)があった気がします。

 

そこでその気になって(刷り込まれ易い!)あきた号を買って帰ったのですが…

そこに父と同じD社のK作課に勤務してる千葉さんという人がいた…と父が言ってました。後で知るのですが、この方はK町でおそらく唯一のRC飛行機マニアだそうです。

何故か千葉模型店という肩書きも持っていて、問屋から直接仕入れていたらしいという不思議な人でした。あ、これ公然の秘密だったのかな? まぁ時効ですね(笑)

中学に入学した春先に、隣のH町(今はK市)でラジコン飛行機大会が行われ、後に知ったのですが、その世界では有名なコンテストフライヤー数人のデモフライトもあり、その大会に行く千葉さんについて行くことが出来ました。

大会後の慰労会の隅っこで、最新の(しかも最高級レベル)無線機やスタント機を涎を流さんばかりに眺めていたのは言うまでもありません。

 

すぐ影響を受けるニャンコ少年は、もうエンジンで飛ぶ模型飛行機で頭がいっぱい。

でも簡単なラジコン装置だけでも当時12000円ほど。昭和42年ですよ。

国産のスタント用高級メカは120000円、輸入だと160000円。サラリーマンの子供の手に負える価格では無いのはあきらか。そのほかに機体とエンジンですからね。

でも千葉模型店のおじさんは、大会後にしれっとその120000円のセットを買っていました。卸価格で買ったとしても7,8万はしそうですが、あ~、模型店やれば安く買えるんだと気が付いたニャンコの将来の夢に、模型店経営が増えたのはその時からです(笑)