円は無くても縁はある?

安上がりといえば散策なんかももってこい♪
都内までの定期券があるので、阿佐ヶ谷、荻窪西荻窪など、昔住んだ街をぶらりと歩いてみたニャンコでした。例えば東京の下町を訪ねてとかだと、つい食べ物などに惹かれてしまってけっこうお金がかかったりしますからね(笑)

で、その西荻窪では当時全く縁等無かった友人のT矢が誕生していました。ニャンコが小坂町から越して来た頃はまだ彼も西荻窪にいたようです。1度目のニアミスです。
ニャンコが約6年間そこで遊んでいる間に、彼は早々と父上様の転勤で山形県北部に越して行ったそうですが。

そんな彼が山形の町(市?)から小坂町に越して来たのはニャンコが西荻窪から小坂町に越して来る数ヶ月前の事だったとか。
小学校の同じクラスに、ちょっと他の子供達と毛色の違ったT矢がいました。
初めての出会いでした。
小坂町での6年間、よく遊び、よくケンカし、勉強は…あんまりよくしなかったけど、何かと付合いが続いたものでした。

彼が中2の2学期で東京に行くと聞いたとき、寂しい思いで見送りましたが、その3ヶ月後にニャンコも荻窪に引っ越す事に。今度のニャンコの社宅から自転車で40分位の所に、彼はお姉さん達と住んでいました。高校に入るまではちょくちょく行き来していたニャンコ達です。

荻窪の社宅のニャンコの部屋に遊びに来て、押入れの中を物色しているT矢君(笑)

高校に進み環境が変わっていくうちに会う回数がなんとなく減って行き、大学受験の頃はどうしてるのかわからなくなってしまい、そのままに。

大学を出て社会人になり、住まいもあちこち変わりましたので、もう全く彼の所在は捜しようがなくなってしまいました。
それなのに…
ニャンコが医療機器販売の仕事をしている時、週に何日かは本郷の仕入先に行っていたのですが、その仕入先のひとつの会社が入っているビルを所有してる医書出版会社に、なんとT矢が勤めていたなんて。ずっと会ってませんから、全然気付かずにいました。2度目のニアミスです。

本郷ですぐ近くを通りながら声を交わすことも無く、ニャンコも仕入れには行かなくなりましたので、その後彼との再会は四十路も終わりに近付いた頃の、小坂中学校同期の情報によっての同期会まで待つ事になりました。

それからの縁は以前いろいろと書いた通りです。

T矢がはたして縁があってよかったと思ってるか、腐れ縁だと思ってるかは考えないようにしています(笑)
縁というのはこんなものなんですね♪


あ、そうそう。
西荻窪の社宅と現在の様子です。
三軒の庭付き平屋の住宅ですね。

そこに九軒の家が建っています。

こちらは荻窪の社宅です
二軒の庭付き平屋です。左の道路側にニャンコは住みました。

ここは六軒の家が建ちました。

このときのパンフレットのコピーは「ゆとりある住まい」でした。う〜ん…

当時我が故郷の鉱山会社は、本当に景気が良かったんですね。都内に社宅があちこちにありましたっけ。
もはや夢のようですが…


 追記
HIDEKIさんからニャンコへ

ニャンコからHIDEKIさんへ