ニャンコの汽車旅 2-1

翌年、ニャンコは父の転勤に伴ない東京から秋田県の北東のはずれにあるK町に越してきました。K町には私鉄のディーゼルカーも走っていましたが、汽車旅としての話はもう少し経った小学5年生の夏休みに跳びます。
家族で母の生まれ故郷の佐世保を訪ねる事になりました。本州をほとんど縦断して行くのですから、現在なら当然飛行機を選ぶのでしょうが、当時の一般サラリーマンの家庭にはとてもそんな事はできません。当然汽車を選択です(笑)

早朝、父の友人が大館駅まで送ってくれて、家族4人は青森発特急「白鳥」に乗り、一路大阪を目指しました。
この特急もニャンコがお気に入りのキハ82の編成でした。今回は久々の母の実家帰りの旅という事で、父も奮発して1等車を手配していた様です。
それにしても大阪は遠かった(笑) たんたんと日本海の車窓を見ながら西へ西へと白鳥は走ります。前回のつばさよりさらに静かな1等車で、そのうえ停車駅も少なくて、子供にとっては退屈この上なく、居眠りするしかすることが無くなってしまいました。
なんでも1県に2駅しか停車しないとかで、新潟県新潟市には立ち寄らず、幹線の長岡と直江津に停車だったと記憶しています。
八郎潟鳥海山、飛島、信濃川佐渡ヶ島、北陸トンネルと、社会科で出て来る所を自分の目で確かめながら…でもやっぱり退屈でした(^_^;)
大館で朝6時台の発車。大阪に夜8時過ぎの到着だったでしょうか。なんと一回の乗車で食堂車に朝昼晩の3回もお世話になりました。
すっかり冷房の涼しさに慣れてしまった身体に、たどり着いた夜の大阪のホームはめちゃくちゃに蒸し暑かった事だけ覚えています。(;一_一)

そのくたびれた身体で、大阪発夜行急行「平戸」の寝台車に乗り込み、ニャンコはB寝台の上段に潜り込みました。なんとなく興奮で眠りつけませんでしたが、姫路城や岡山の記憶が無いところをみると、しっかり眠っていたのかも(笑)
起き出したのは山口県に入った頃でしょうか。車窓には時々瀬戸内海の海岸や小島が見えたりしました。でも山陽本線は時々しか海の見えない路線なんですね。ずっと瀬戸内海が見えてるのかなと期待してましたから (゜o゜)
下関では関門トンネル用に専用の機関車の付け替えがあり、停車時間も長かったのであちこち構内を見学したりしました。
意外とあっけなく関門トンネルを通過。さあ、九州に初上陸?です。社会科で習った北九州工業地帯若戸大橋に感心しながら博多を通り鳥栖へ。また機関車を交換し(今度は蒸気)長崎本線に入ります。列車が地方の主要駅に停車する度に、乾いた熱い空気とともに東北や東京の駅とは違った風の匂いを感じました。
肥前山口から佐世保線に入りローカル線らしく速度ものんびりと走ります。早岐という佐世保の僅か3つ手前の駅で、今度は方向転換のスイッチバックのため、機関車を反対に付け替える作業でまたもや長い停車時間がありました。もう30時間も列車に乗り続け、あと少しなのに…ま、いいか。ここまできたらこののんびりも楽しんでしまうしかないや。と諦めムードでした。
そこから小さな、本当に小さな駅を2つパスして急行「平戸」はお昼頃、やっと佐世保駅にたどり着きました。
「ここは本当に日本なんだろうか…」 ホームに降り立ったニャンコは、足元が揺れている感じがしばらくとれませんでした。(@_@;)