友人との話でふと…

最後の昭和の年、千秋公園で

子供の頃と違って、もうそれぞれが皆違ったもの(事)を抱えて暮らしているんだったなと改めて感じた日でした。

ニャンコの家には子供が授かりませんでした。ニャンコは長男ですが学生時代から東京での生活が長かったので、両親は秋田市に家を建てて移り住みましたが、東京圏での生活を続けています。
遠くに親がいて、年に数度しか会えない立場からすると、近くに親が暮らしていたり、同居できる家があって暮らしているのは羨ましく思うのですが、同居は同居なりにいろいろ有るようです。
家のローンや子供を育てる責任も、なんでも背負い込んでしまわなくてはならない苦しさもきっとあるのでしょうね。
子供も無く、親の借金も無いニャンコはお気楽に見られるんでしょう。
子供を育てたことが無いから、或いは自分で借金して家を建てた事が無いから、また、親と同居して養って無いから、お前にはわからないよ! と言われる事があります。

確かに皆さん苦労したんでしょうね。でもそんなに嫌な事ばかりの苦労だったの? ニャンコの味わったことの無い喜びや嬉しさもあったからがんばれる苦労だったんじゃないのかな。
親の事だって、遠くに離れて暮らしていたら、今日も無事に過したろうか、転んだりしていないだろうか、電話の声が変だったけど具合悪いのをかくしてるんじゃないだろうか…って、ただ気を揉む事しか出来ないんですよね。


はい、ニャンコは確かに同居の親の面倒を見る大変さも、子供を育てるために頑張って働かなくてはならなかった責任の重さもわかりません。ただ、想像するだけです。
でも、だからニャンコの方が恵まれてるとか幸せだとは絶対思っていません。
逆に、そういう事で愚痴をこぼしたり悩める人達が羨ましいです。


子供がいない人の気持って、子供を育てた人にはわかってもらえないんだろうなぁ…
けっこう寂しいんだけどなぁ
遠く独り住まいの母を想う時ってけっこう切ないんだけどなぁ…


ニャンコの母は、以前父が亡くなってから何度もこちらに来ないかと声をかけたのだけど、晩年父と二人で過ごした暮らし方を変えようとはしませんでした。

それも母の人生ですから、自分の身の周りの事が出来る間はと母の考えに従っているニャンコです。


そういえば、土曜日にめずらしくカラオケで「人生が二度あれば」を歌ってしまったけど、今日につながっていたのかな?



まだ元気だった父母。寒風山駐車場から。

父が亡くなる半年位前、最後に母と一緒に出かけた秋田市仁別の国民の森にて