家路…

「新世界」には二つ歌詩がありますね。
よくキャンプ等で歌われる「遠き山に日は落ちて」と、野上彰氏の「家路」です。
ニャンコの故郷の小学校では、下校時間になるとこの曲が流れました。全国でもかなり使われていた様です。
ニャンコは「家路」の詩がすきでした。父母の待つ家に帰るんだってメッセージだったのでしょうが、なんともいえない郷愁をさそうメロディがいつまでも心に響いています。

HIDEKIさんの紹介のこの曲もどこか同じ郷愁を誘いますね。

子供の頃って隣町に出かけるくらいがせいぜいの冒険の旅でしたが、次第にバスになり電車になりと行動は広がりました。でも、時刻表と行く先が最初からわかる冒険です。オートバイに出会った時、今までとは違う世界が広がるような期待に胸を躍らせたニャンコでした。自分の意思で道を選び、空気を感じ音も香りも温度までみんな自分の身体で感じながら目指す所まで走っていく楽しさに、興奮の連続でした。
とんな冒険も終わりが来ます。さあ、と前輪を向けた先はいつも母が待っている自分の家だったんですね。 帰り道を走りながら、ニャンコの心の中に流れている曲は、あの「家路」でした。

遠出すればするほど、自分が帰る場所と言うものを意識するようになりました。大人になれば、そこが故郷なのか、親の元なのか、はたまた愛する人の元なのか。人それぞれではありましょうが、ひとつに絞る必要も無いでしょうね。帰れる場所がある事は幸せなんだと思います。


旅に出たくてバイクに乗り始めた人。
走る事の緊張感に惹かれた乗り始めた人。
かっこいい(或いは異性にもてたい?)と乗り始めた人
ツッパリさん

まあ乗り始めはこんなもんでしょうか?(笑)

同級生のYAMAHAのA7とHONDAのSS50がニャンコのバイク事始でした。免許を取ってからはときたまKAWASAKIのA-1SSを借りて荻窪の家から埼玉の飯能や二子玉川の河川敷などに出かけたりを。こういうものは借りていて何かあってはいけないと、父がバイクを購入してくれる事になった訳ですが…。で、ほんとのデビューがYAMAHA RX350でした。
中古も考えましたが、当時のバイク中古車屋といえば上野の岩倉高校の辺りに固まっていて、玉石混合(ま、ほとんどが石でしたが)の中古車が所狭しと並んでいました。
高校生がそんなところにバイク探しに行けば、ネギと豆腐と鍋まで背負ったカモと同じ。見てくれの良いバイクに書類待ちだからと内金をいれさせ、一月以上もなしのつぶて。じれたカモがまだ書類は揃いませんかと聞きに来ると、いや〜どうしても書類が出て来ないんだよと言いながら、で、こっちのバイクならすぐ出せるんだけどと言って、最初の見せバイクと同型ではあるが、半額でもいらねぇやという状態のバイクを出してくるんです。え〜、やっぱりあっちがいいですなんて言っても、聞く耳は持たず。バッチリ整備して出してやるからさ、などと優しい言葉で誘導されそうになり、おっといけない、断らなくてはと目を上げて店員のお兄さんの顔を見ると、言葉とは全く逆におっかない目で睨んでたりして…。
気の弱い子ガモは「はい」って言ってしまいTHE END♪

いたんですね、同期の中に何人か。ニャンコは早生まれで同期の内でも免許取得が遅かったのでいろいろ参考にさせていただきました。はい
という事で新高円寺のF輪業で新車と相成りました。めでたしめでたし m(_ _)m