随分前だったような気もするし、ついこの間の出来事にも思えるあの3月11日
震災後に生まれたお子さんはもう中学生でしょうか
東北太平洋岸の風景や街の様子は随分と変わっているようですが、まだ街そのものが何の復旧も出来ない所も‥
そして原発も過剰な放射能を洩らさないようにするのが精一杯で廃炉への道のりはまだ踏み出せたとは言えない様子
誰もその責任はとれないでしょうね
敗戦後と同じかな‥
あまりにも大きすぎる禍を、誰が起こした事かと突き詰めるすべもない
株価が上がったと喜び、賃金の上昇と物価指数のプラス化という机上の数値遊びで喜んでいる(ごまかしている?)誰かさんたち
その反対に、働き手がいないと騒ぎ、安い賃金と短い滞在期間で外国人労働者に介護や肉体労働を押し付けてる‥
日本国民が生きる事を保証している憲法さえ、そのうちさらっと書き替えちゃうのかもしれませんね(-_-;)
関東、そして東海・南海のどこかで大災害が発生したら、この国は沈むかも‥
荒れ果てた街は残っても、それはまさしく日本沈没の姿なんでしょう
年に一日くらいは災害とこの国の生き残りを考えてみようかと思うニャンGでした
画像は13年前3月‥
9日後にあんなことが起きるなんて知る由もなく、久しぶりに会った同期で楽しんでいた夜です
暗い話ですみません<(_ _)>