実家が建った頃

我が家は団地のはずれに位置していて、すぐ前は塘路を挟んで一面の田んぼでした。
田んぼの向こうに中央卸売市場があるのが唯一目立つ建築物でした。

家の前の通りは市場側には繋がっておらず、あくまでも団地の入り口は田んぼの反対側、歩いて15分もかかる自衛隊通り側です。

写真は学生時代の秋に新築の実家を尋ねた時のもの。

生意気にも東京から車で帰ったのですが、東北道も岩槻から古川くらいまでと一関付近が部分開通していた程度でしたから、秋田まで9時間から10時間ほどかかりました。
何度も車で走りましたが、若かったから平気だったんですね。

買い物や、秋田市内に出るのには不便でしたが、ほんとに長閑でした。

近所には野菜と食品雑貨の小さなお店と、やはり小さな魚屋さん。それに酒屋さんがあるくらいで、それでも日常の買い物はなんとかなったものでした。
普通の感覚で歩いて行く範囲にスーパーはありませんでしたが、なんと1時間近く歩いて土崎のジャスコやツルマイまで買出しに行った事もあったそうです。ちょっと学生生活が長引いたバカ息子の学費やら生活費と、定年後に建てた家の支払いがあったので、父も母も安い日用品や食材を買いに行くのにタクシー等が使えなかったからでした。
 ん〜 もさげねかったッス m(_ _)m

今はせっかく歩いて行けるところにいっぱいお店が出来たのに、足腰の弱った母は出て歩くことがほとんどありません。それを思うとちょっと悲しい気分になります。

この写真の頃は今のニャンコより若かった母です。その頃の風景はきっと母の記憶の中にも鮮明に残っている事でしょう。

 昭和53年 秋田にて