残存湖と道

さすがに3日続けてのフライフィッシングは体力がもたないので、バイクで散歩に出掛けました。もちろん、AMと帰宅後にはちゃんど母の病院に行きますよ。(あたりまえだろ!)

海沿いを八郎湖へ。
この呼び方は抵抗があるニャンコです。あの浅くて広い汽水域はやっぱり潟だと思う。
干拓とは思い切った愚行を断行したお国の気違い政策以外の何物でもないと…
ここだから書くけど、八郎潟干拓地で採れる米はあまり美味しいとは感じない。そもそも干拓地で米作は難しいのでは? あ、美味しい米作りという意味です。
これはあくまでもニャンコの食味からの感想ですけど。

さて、これが長良川でいえば悪名高い河口堰、諫早湾いうギロチン式水門です。

残存水域を淡水化するために海水面より高い水位をキープし続けています。
つまり、何も無かった頃より、八郎潟残存湖は水位が高いってことですね。
この水域に高い土手(堤防)で囲まれた広大な旧潟の底が水を抜かれて日の下に曝されています。ま、勿論田圃や農業のための客土はしてるのでしょうけど。

水門の脇にこんな看板が立ってました。

ちょうどニャンコが秋田県で過ごした幼少期に干拓工事がされていました。
個人的には寒風山から干拓前の八郎潟を眺めてみたかったです。

田沢湖は強酸性(凶?)水の導入でクニマスを滅ぼし、魚の住めない湖にしてしまい、豊かな水産資源を誇った八郎潟はこの通り。流入河川である馬場目川に鮎などの天然遡上魚は壊滅。
秋田三湖物語の最後の砦である十和田湖は、6割が青森県に所属するためか、何とか昔の面影を守り続けているのは皮肉な話である。

さて、ふぎゃぁにゃぁ秋田県の役人に対する不満(幕末からの〇竹がその発端?)はひとまず、話は道へ。


バイクで走る時、わざわざ裏道というか、現在のメインではなくなった道を走るのが楽しみです。
寒風山を遠くに見る、秋の田圃にて一枚

八郎潟干拓地では、土手下の長〜い非舗装道を走り続けたり、現在は通行止めの看板が出ている草木に囲まれ狭くなってしまった道を走り抜けてみたり。
あ、あくまでも通行止めであって、進入禁止や通行禁止ではありませんので、入っちゃいました(笑)
なので、写真は載せませんが、真〜っ直ぐで信号も無く、きっと北海道ってこんな感じなんだろうなぁと想像しちゃう道があるんですよね。ん?そうか、元沼の底を走ってるって事か…

で、旧道の旧道を追分という国道7号線との分岐に戻り、そこから現国道を走らず右から合流しているおそらく昔の7号線というより「船川街道」と言ってたのかな、を秋田市方向に走ってみる。

なんか風情のある道なんです。
しばらく行くと川の所で道は切れてしまっています。昔はこちらに橋がかかっていて、この先の現国道と重なり上飯島の先で左に進み、土崎の町中に入って行く旧国道になるのかな。

きっと昔、船に積みきれないハタハタを荷駄で運んだ道なんでしょうね。
うん、「ハタハタの道」と名付けよう♪ ホントかな…

その旧国道にあるお米屋さんにセローを預かってもらい、ニャンコは自転車で20分かけて実家に戻ってきました。
ほんとはこのまま大宮まで乗って帰ろうかと思っていましたが、翌日から台風の影響があるとのことで、10月に延期しました。
屋根付きのガレージの片隅でニャンコの帰省を待つセロー君でした。

隣はきれいなまま保存されてるお米屋さんのコレクションの中のほんの1台です (^_^)v