昨日、今日と朝から快晴‥ってか、所謂ドピーカン(^^;)
猛暑日が続きます
洗濯物が速攻で乾きます(笑)
今日はポチポチ小さな雲が浮かんでます
隣の屋根は熱々に焼けてるんだろうなぁ
実家が建った当時は我が家の東方向は団地の道路と田んぼだけ。
とても見晴らしが良かったんですが‥
その後道路を挟んで住宅が建ちました
22年前の展望
そして現在は新たに宅地開発や幹線道路が東西南北に通って、二階からの風景はずいぶんと変わってしまいました
公園の樹木が育って来て山の姿がだんだん見えなくなって来ています
因みに、右側のピークが大平山、左が馬場目岳、その間に見える小ピークはおそらく笹森かな?
先日の集中豪雨の中心だった太平山群です
西側には土崎のランドマーク、セリオンタワーが頭を覗かせています
やはり周辺のお宅が建て替えられて立派な二階家になったので隙間が無くて見晴らしが‥( ;∀;)
でも利点としてはバスの乗り場が近くなったり、強風の日でも吹き曝しでは無くなったので家が揺れるような日はめったに無くなった事でしょうか(笑)
昔の夏の夜は空一杯に星がきらめいて、天の川もはっきり見えました
春から初夏は毎晩カエルの大合唱('◇')ゞ
狭い未舗装の道をはさんで田んぼに面していたので風通しが良く、夏の夜は風を入れればクーラーは無くても眠れました
小中生の頃の鉱山の町では朝のラジオ体操参加で無理やり起こされて、ご飯食べて、学校からの夏休みの時間割では気温が上がらないうちに夏休みの宿題をやる事になってましたが、そんなことやってられません(^^;)
夏休み開始から5日間も続けばもう限界で、虫捕りやら同級生への訪問(勉強の邪魔しに行く?)とか、誰もいないと模型飛行機やプラモデルを作ったりで午前の部が終了
お昼を食べてから昼寝‥なんて指導もあったけど、んなことも時間の無駄(^^ゞ
釣り竿持って、或いは水中眼鏡とヤスを持って、ひと山越えてうらの川へ
真夏の日中ですから釣りはヒャッコ(アブラハヤ)が中心ですが、時に18cm~21cmほどのイワナが釣れて(だいたい夕方の帰り時間が近付いた頃に釣れた)、ヒャッコはリリースでイワナは意気揚々と持ち帰り、たいていは父のビールの肴になっていたかな(笑)
水に入りたいほど暑い日は水中眼鏡でカジカ突き
本格的には夜が良いに決まってますが、子供一人では夜の川に入れませんから(^^;)
5cm~8cm位の小型カジカを突いて持ち帰り、たぶん唐揚げでやっぱり父の肴に消えたのかな?(笑)
でも夏休みの期間はメジロアブが発生する時期で、カジカを突いてるといきなり背中にジクッと痛みが
けっこうやられたなぁ(^^;)
あの頃、鉱山町の学校は夏休みが短くて、7月25日から始まって8月の20日までだったと記憶してます
東京の小学校は7月21日から8月25日位だったと記憶していて、東京から転校してきて夏休みが短いのがとてもショックでした(笑)
なので、夏休みに入るとすぐ月が替わって七夕まつりがあり、お盆に重なって山神祭があり、町の花火大会やら盆踊りと行事がいっぱい
お盆が終ればもうすぐ2学期のスタートです
夏休みの課題なんかやってる時間がもったいない(#^.^#)
小学生の夏休みは、思いっきり遊んでも良くね?
おかげで東京では体も小さく体力も弱っちかった幼少期のニャンコは、鉱山町でどんどん身体が育って体力がついたニャンコ少年に変身出来ました(*^^)v
昨今は、夏休みには子供は外で遊びましょう‥と無責任に言えない時代になってしまったのは寂しい限りです
子供が家族だけのルールしか知らずに育つと社交性を得るのに苦労するかも
ルール感覚が違う他の同年代と折り合いを付けながら遊ぶ事を学ばないとね(*^^)v
本来、夏休みはその良い機会なんですけどねぇ
「少年時代」はやはり昭和のノスタルジーになってしまったのかなぁ
(;_;)/~~~