ものごころがついたのは2~3歳でしょうか。
ニャンコ一家は東京の杉並の社宅に住んでいました。
それから約6年間。標準語(東京弁?)に囲まれて育ったニャンコです。
小学校3年から秋田の奥地、小坂町の小学校に転校。
はっきり言ってよその国でした。部分部分はわかっても、名詞は違う、動詞は違う、形容詞も違う。何よりあいうえおの発音が違う(T_T)
標準語では思いっきり仲間外れ‥いや、いじめられました(>_<)
必死で小坂弁を覚えましたよ。だって生きて行けませんから。
それからどれくらいしたころだったか‥
いきなり先生から全校生徒に伝えられたのが
「方言を使うのは止めましょう。これからは学校では標準語を話さなくてはいけません」
って、おい!
必死になって小坂弁覚えてみんなに相手にしてもらえるようになったのに(-_-メ)
なんでも、都会に出た時、方言はバカにされたり差別されるから標準語を使うようにしましょう‥という文部省のお達しだか指導だかがあったらしい。
悪いけど、この町の子供で、いきなり標準語で会話が出来る子が何人いると思ってるんだか。秋田県北の思いっきり奥地だよ。
一部の都市部からの転校組は可能だろうけど、その言葉や喋り方をいじめのネタに使ってた子は青天の霹靂?(笑)
でもね、そんなにひどい言葉なのかなぁ、小坂弁って。
方言を聴いて、はじめて故郷に帰って来たと思う人も多いのになぁ。
日本全国が標準語になってしまったら旅情も風情も無くなっちゃう。
なんでそんなお達しがあったんでしょうね。
いつの間にか立ち消えしたのは言うまでもありません。
昭和に2度、方言をやめて標準語で話せるようにという指導があったと聞きます。
どうやら1度目は徴兵で日本中から兵隊として男子が集められるようになったから?
東北弁は古参兵にバカにされたり笑いものにされたりしたようです。
ニャンコの世代に2度目が。
これは集団就職のせいなんでしょうね。東北は勿論、全国からあちこちの都市部に金の玉子として働き手に。
やっぱり軍隊と同じ扱いがあったかも。
なので、お国は親心で東北弁を使わないようにとのお達しだったのかな(そうならば実に短絡的だし、やっぱりお役所仕事ですね)。
東北弁の政界の実力者もほとんど(全く?)いませんでしたからね(笑)
東北弁や方言を話す事をバカにしたり見下してはいけない! という人間教育は出来なかったという事ですね(+o+)
ま、文科省には昔から期待はしてませんけど。
大人になってこそわかる、方言のもつ暖かさや自らが育まれてきた故郷への思い。
逆に、標準語にしか知らずに一生を生きる人がお気の毒?
今はそう思います(*^^)v