今度はLPと25cm盤(知ってます?)での今更気付いた事(笑)
古い話ですが、明治100年記念行事のひとつとして、秋田県では組曲「大いなる秋田」を制作しました。
一応非売品になってましたが、どういう基準で配布されたのか?
右上に秋田県ロゴ(マーク?)があります。
で、作曲は石井 歓氏
いったいどんなかかわりがあって秋田県をテーマにした作曲を受託されたのか。Kの中学校の音楽の先生から聞いたこともあった様な…(覚えていなかった)
ここで、おととしのプチツーが繋がりました。
今日はセローで - 始まりは1955年 1月… (hatenablog.com)
何でも屋さんのはす向かいにこういう碑が建っていたのですが、その時は何のこっちゃわからんと、メモ程度にワンカット押さえてそのままお蔵入り(^^;)
そこには
石井 漠氏 生誕地とありました。(三種市下岩川)
【 旧制秋田中学中退後、一時小坂鉱山勤務
二十二歳で上京 紆余曲折を経て創作舞踊家として花開く
幾度もの病気と闘いながら生涯を舞踊家として生きた方だそうです 】
そして、そのご長男が音楽家の石井 歓氏でした。
また、漠氏のお弟子さんには十和田湖ヒメマス養殖の祖、和井内貞行翁のお孫さんもいらしたとか。
東京生まれの石井 歓氏でしたが、身近に秋田県との関りを持つ人がいらしたようです。
明治以降の秋田県を4楽章に表現した曲です。
さて、もう一枚今度は違うLPが見つかって…
こちらはニャンコ少年の高校のブラスバントの演奏会録音記念レコードで、これも非売品(名目上?)
で、演目が
あら、B面3曲目は「大いなる秋田」の第一楽章と第二楽章じゃないですか('◇')ゞ
こんなの入ってたんだ‥(記憶無いし)
どうして東京の高校の音楽の先生がこの曲を演目に加えたんだろうと思いましたが…
ハタと(^^)/
先生のお名前は「佐竹」さんでした。
そっか、そっか。もしかしたら殿様の縁者にあらせられるお方だったのか?
いまさら気付いても手遅れですが、これは訊いてみたかったです。
因みに高校の選択科目は勿論「音楽」で、佐竹先生でした(^^ゞ
バイクばかりにかかり切っていたまだまだ未熟者のニャンコ少年時代です(笑)